赤茶碗



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SATORU OHMAE 0FFICIAL HOMEPAGE Last Updated 2017-10-06
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大前悟/伊賀水差

大前悟/伊賀水差

大前悟/赤茶碗

赤茶碗
w12.5×h9.5


お待たせしました。
赤茶碗が一つ取れました。
黒茶碗を発表してから3年以上経ってしまいました。
もちろん聚楽土で成形しており、黒雲と釉の配置も上々で
よく見ると小貫入が上品に入ってくれて、カセ肌としっくりときました。
聚楽土を買う前、テスト用に土をもらい鉛釉をかけて赤茶碗を焼いたところ
良い色と土味が出たので購入を決めました。
この茶碗は鉛を一切使わず釉薬を調合しているので安心して使って頂けます。
実は鉛を使っていればもっと早く発表できたと思いますが…。
(売るつもりはないのですが、長次郎の赤茶碗に近づきたいという思いがあり鉛を使った釉薬にも挑戦していくつもりです)

長次郎の茶碗作りにおいて赤茶碗の誕生は黒より先だとされていて、道成寺や匂当のように土見せがあったり、口が開いていて唐津の茶碗に似ているものでした。
そして次郎坊や太郎坊型、一文字や無一物型と次々と形の完成度の高い茶碗を追求していきました。
長次郎は明から来た瓦師の子孫とされていますが、私は瓦だけでなく焼物の技術をかなり持ち合わせた人物だったのでは、と推測しています。
まず、獅子煉瓦を見ると瓦職人としての枠を飛び越えた躍動感があり、職人的な技術だけではないのが見て取れ、次に三彩獅子牡丹置上縁瓜図平鉢を見ると銅を着色剤に使った緑釉を施しているところなど、釉薬にも精通していたことが分かるからです(これって織部焼よりも早い?)。
長次郎について色々な本を読むと、釉がカセ肌になったり、赤茶碗なのに釉薬が溶けてなく白っぽかったり、黄や茶がかったもの、色むらがあるもの様々なのは赤釉が手に入らなかったか、未熟でいい赤釉が出来なかった等と技術が伴わなかったかのような見解が示されているのを見かけますが、全て利休の狙いだったのではないでしょうか。
決して派手な赤い茶碗を焼かせるつもりなど無かったのではないでしょうか。
長次郎だから茶碗作りをさせたのではないでしょうか。
長次郎の赤茶碗の釉調は一碗一碗異なっており、色合いがとても複雑に入り交ざっていることから先にも書きましたが、かなり釉薬の知識があり巧みに金属、鉱物を操っていたと思います。
利休の厳しい注文に応えていったのでしょう。
上記は私の勝手な推測でありますが、私自身、赤を焼くたび長次郎の技術の高さに途方に暮れる毎日を送っていたのは確かです。…
古のものづくりの人々は現代人よりはるかに優れていたようです。

また大変申し訳ありませんが、聚楽土に限りがあり茶碗作りに集中したい為、今後ぐい呑は聚楽土での成形をやめていきたいと考えております。黒ぐい呑を既にお持ち頂いている方の分は、聚楽土での赤ぐい呑を作ります。