淡路島陶塾
百猿製陶所に舟板の展示スペースを作りました。
暇つぶしに特集を組み、分類一つひとつにスポットライトをあてて
2週間展示して参ります。
粉青沙器展
粉引、三島、無地刷毛目など
2015年7月5日(日)〜7月19日(日)
場所 百猿製陶所
粉青沙器(ふんせいさき)
朝鮮半島で李氏朝鮮時代の前半、15世紀を中心に作られた磁器の一種である。
鉄分の多い陶土に肌理細かい白土釉で化粧掛けを施し、透明釉を掛けて焼造した。
本来は、粉粧灰青沙器の略語。高麗時代末期の14世紀半ばに発祥し、
15世紀に最盛期を迎え、16世紀前半には消滅して、
その後の朝鮮王朝の磁器は李朝白磁が主体となった。
...らしい(;_☆)。
お越しの際はご一報ください。
また期間中、このページ上で作品をご紹介していきます。
ぜひ見て下さい。
2015.7.17
いよいよ、粉青沙器展の更新も最後となります。
今回は自分が粉青沙器の勉強をする為にしたような展覧会でしたが、
お付き合い頂き、ありがとうございました。
ぐい呑と湯呑、フリーカップをupさせて頂きます。
またこういった特化した展覧会を、
個展活動の合間を縫ってしていきたいと思います。
8月8日からは島でものづくり8件が各工房で個展を開催します。
夏休みに是非みなさまお出かけください。
案内状ご希望の方、ご連絡下さい。
鬼ヶ島無地刷毛目盃 w7.9×h3.8
鬼ヶ島三島盃 w8.1×h4.2
鬼ヶ島三島盃 w8.5×h4.3
鬼ヶ島粉引祭器ぐい呑 w7.6×7.8×h5.5
鬼ヶ島無地刷毛目片口ぐい呑 w7.0×7.5×h5.0
鬼ヶ島粉引盃 w8.5×h5.0
鬼ヶ島無地刷毛目塩笥ぐい呑 w7.0×h5.5
鬼ヶ島無無地刷毛目湯呑 w7.5×h9.2
鬼ヶ島粉引フリーカップ w7.5×h9.2
2015.7.15
こちらに画像を載せるのも残すことろ後1、2回となりました。
今回は酒注ぎとして使って頂きたく作りました、注壷をご紹介します。
お客様は今だお見えになりませんが、淡路島陶塾のページは沢山の方に見て頂いているようで嬉しく思っております。
鬼ヶ島無地刷毛目注壷 w11.0×h 9.5
割りに黄色みを帯びた化粧土と土見せが青磁のような発色をしています。
鬼ヶ島三島注壷 w11.0×h 9.0
やわらいラインが出るような刷毛の塗り方をしました。
鬼ヶ島無地刷毛目注壷 w10.3×h10.0
注壷の中では一番温度が上がっていた場所に入っていた為、高台が波打っていますが、焼きも光沢のある所とない所があり面白くなっています。
鬼ヶ島無地刷毛目注壷 w9.7×h8.2
注壷の中で小さく、口が広い愛嬌のある形に作ってみました。
次回は17日(金)にぐい呑をご紹介します。
2015.7.13
粉青沙器展も中盤に差し掛かり、今だこの展覧会目的にはまったく人は来られてませんが、私一人盛り上がって充実した展覧会となっております^_^;
焼物を初めて20年以上になりますが、こういった特化した展覧会を以前からしたいと思っていましたので、やっと実現した感じです。これからも少しずつ続けていきたいと考えております。
窯変粉引茶碗 w14.3×h 6.3
この茶碗はかなりの旧作です。
当時、粉青沙器や粉引のことを今ほど理解してませんでしたが、
その割には良くできた形だと思います。
信楽の窯で一度焼いていたのですが、あまり焼き締まっていなかったので、
淡路島の穴窯で焼き直したところ、こういった雨漏のような窯変が致しました。
砂高台となっています。
次回は15日(水)に注壷をご紹介します。
2015.7.11
歴史
前代の高麗時代には「高麗青磁」として知られる朝鮮半島特有の青磁が盛んに焼かれたが、王朝の弱体化や社会情勢の変化により、1370年代にはそれまで青磁を一手に製造していた康津の官窯が機能しなくなり、陶工は各地へ拡散した。それとともに、青磁の器形、釉色、文様にも変化を生じ、青磁は衰退へ向かった。粉青沙器は、こうした窯業界の変化のなかから自然発生的に生まれてきたものである。
韓国国立中央博物館には「恭安府」銘の粉青沙器印花菊文の鉢があるが、恭安府は2代定宗の時代、1400年から1420年までの間に設けられていた臨時官庁であるので、この鉢の製作年代もその間に限られることとなり、初期粉青沙器の確実な年代を知ることのできる資料である。
朝鮮王朝歴代の『実録』のうち、『世宗実録』には「地理志」が含まれており、当時(15世紀前半)の国内の土産貢物について記している。ここには当時国内にあった324箇所の窯場(「陶器所」185箇所と「磁器所」139箇所)が記録されている。「陶器所」では発酵食品の貯蔵などに用いる土器と甕器(オンギ)、「磁器所」では白磁と粉青沙器を焼いており、これらの窯は半島各地に散在していた。
1469年、京畿道広州の官窯で白磁を焼造することが法制化された。それまで、王室では各地から磁器を貢納させていたが、この時以降、王室で使用する磁器は官窯で直接製造することになり、王朝の統治理念である儒教精神に合致した純白の磁器が作られることになった。こうした時代背景のもと、粉青沙器の製造は衰退していき、16世紀前半には姿を消した。韓国陶磁史研究家の姜敬淑は粉青沙器を評して、韓国人の心性と美意識が直接に現れた、もっとも韓国らしい陶磁器であるとしている。
...らしい(;_☆)。
無地刷毛目は本歌の鶏龍山の土味を真似て作りました。
少しばかり鉄分のある化粧土に青磁系の透明釉をかけております。
化粧掛けした後、急に乾燥した為、粉引が縮れひび割れております。
これも風情になって良かったと思います。
高台には化粧土が掛からないためすっきりとしました。
次回は13日(月)に窯変粉引茶碗をご紹介します。
2015.7.9
器種・技法
器種は瓶、壺、皿、碗などの一般的なもののほか、扁瓶、俵壺などもある。
扁瓶とは円板を立てて置いたような円形扁平な器形の容器、俵壺とは、米俵のような形の横長の容器である。
粉青沙器の素地は、青磁に用いられるのと同種の灰色または灰黒色の土で、これに白の化粧土を掛け、さらに透明釉を施して焼造したものである。文様表現技法から、粉青沙器象嵌、粉青沙器印花、粉青沙器彫花、粉青沙器剝地、粉青沙器鉄絵、粉青沙器刷毛目、粉青沙器扮装などに分かれる。
...らしい(;_☆)。
鬼ヶ島粉引茶碗 w14.0×h8.3
粉引という名で親しまれてますが、本来は扮装というのですね~。
この茶碗は以前今月の作品でご紹介し、一度個展にも出していますが、
気に入っていた為かそれっきり展覧会には出さなかった茶碗です。
粉引の魅力はやはり火間にあると思います。
この火間は化粧土を総掛けした後、上の透明釉を掛けはずして作り出しています。
口に程よい貫入も入りよい雰囲気に焼き上がりました
高台は轆轤の回転を調整しながら勢いよく削り出しました
次回は11日(土)朝11時頃、鬼ヶ島無地刷毛目茶碗をご紹介します
2015.7.7
紛青沙器という名前について
「粉青沙器」という名称は古いものではない。
1930年頃、美術史家の高裕燮が、「粉粧灰青沙器」という名称を提唱し、
これを略した「粉青沙器」という名称が定着した。
この種の器が製作されていた当時は特有の名称はなく、単に「磁器」と呼ばれていた。
隣国の日本では、この種の器が高麗茶碗の一種として珍重され、
作調によって「三島」(みしま)、「刷毛目」(はけめ)、「粉引」(こひき)などと呼ばれた。
「三島」はスタンプで器面に細かい文様を押し、
色違いの土を象嵌したもので、今日でいう「印花文」にあたる。
「刷毛目」は白化粧土を器面に刷毛で塗り、刷毛の跡が残っているもの、
「粉引」は液状の白化粧土に器を浸したもので、
韓国では「トムボン」という(「トムボン」は日本語の「どぼん」に近い擬態語)。
...らしい(;_☆)。
塩笥鬼ヶ島三島茶碗 w11.3×h9.4
私の思う紛青沙器の魅力は硬質でありながら表情が他種に比べ柔らかであるところです。
使う度に変わる景色も早く、目に見えて育ちます。
毎日使う器を代えられる方よりも、ず~と同じ物を使いつづける浮気性でない方に向いています。
見込に篆刻家南岳杲雲氏の花の印を押してます
高台は薄く造り、緊張感を持たせました
次回は9日朝11時頃、粉引茶碗をご紹介します