伊賀耳付花入



百猿黒.jpg

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SATORU OHMAE 0FFICIAL HOMEPAGE Last Updated 2017-10-06
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大前悟/備前三角花生

伊賀耳付花入
w11.0 h27.0

この花入れは本歌より少し小さく、青磁釉をかけてもOKという気持ちで作りました。
ラインを出来るだけ繊細に仕上げ緊張感のある佇まいになればと…。
ビードロ、コゲも出ていてあざやかになりました。

とても長い余談になるのですが、
伊賀と信楽の違いについてよく聞かれるのでお答えしたいのですが、その質問の答えは難しくややこしくなってしまいます。
というのも現在伊賀と信楽境界あたりを伊賀側から歩くと、信楽にいったん入り、また伊賀になり、信楽側に抜ける飛び地になっている。
現在信楽地内となっている五位の木峠を中心とする三角地域は不自然に伊賀地内に入り込んでいる。元々はこの地域は伊賀領であった。それが伊賀と信楽による境界争い、いわゆる三郷山の山論が元禄13年(1700)に幕府によって判決されて以来信楽領となった。
したがってそれ以前その地域で焼かれたものは伊賀ということになる。この地域の桃山以前の古窯として五位の木窯があり、この窯で古信楽の壺が焼かれていて信楽最古とされているが、これらも伊賀ということになってしまう。しかしながら信楽地内では五位の木峠周辺以外にも窯が広がり発展し、茶会記にも度々信楽は登場している。また各産地生産量を示す資料には既に信楽と示されていて伊賀の生産量は記録がない。いくつかの推測を立てなければならないが、今ここでそれは差し控えたい。ただ焼物史も新たに解き明かされていることは改めて頂きたいと思っています。
おそらく山上の五位の木窯が時代とともに山麓に下がって東側の伊賀槙山窯となり西側信楽の神山窯となったのではないでしょうか。
元禄13年以前に五位の木峠周辺で焼かれていたものを伊賀と信楽に区別するのは無理ということになります。もちろん他の信楽地内のものは古信楽ですが、発祥地は同じということになります。伊賀も茶陶が焼かれるまで長い時代を重ねてきたのです。

今現在の一般論の流れでは、
信楽でも茶陶が焼かれた時代、茶碗、水指、耳付花入などが作られたが、伊賀の形に似ているものも多く区別がつきにくい。土の荒さの違い、伊賀の方がビードロのグリーンが冴えていて、還元ぎみで焼かれている。
推測ですが、伊賀は引きの良くない窯か、小さめの窯か、又は窯のつまり具合を調整しているのではないか。還元状態に意図的にしたかは分からない。花入に2~4個位釘穴を焼く前に開けておき、焼き上がりの景色を見て正面を決め、要らない釘穴を漆でふさぐ強引で画期的なやり方をしている。
それから伊賀の釉薬については、耳付花入、水指にみうけるビードロ釉、そして作品の肩辺りに数箇所、飴釉か鉄釉みたいな釉が流れている(これは美濃伊賀にも共通している)。意図は良く分からないがすなわち釉薬をかけていることになり、そして釉をかけた部分と自然釉が入り混じった表情になっている。
全て古人が描いたものに意図的に近づけようとした焼き物だと推測できます(信楽にもビードロ釉は一部ありますが)。
その地にそれまでなかった技法を使い卓越した技がその時代に花開いたのでしょう。ここから伊賀と信楽の違いが始まり別の道を歩んできたのでしょう。
耳の有り無しで区別できるのであれば簡単にお答えできたのですが…。
かなり長くなりましたがお疲れ様でした!